趣深山ブログ よもやま編

趣深山です。四国 剣山 三嶺 天狗塚 周辺の山域での山歩きについての話題です。 (C)since2002 趣深山 (shumiyama@gmail.com)

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ダウラギリ2007秋


ダウラギリ2007秋


平成19年徳島ダウラギリ主峰登山隊


2007年秋 ダウラギリ

徳島ダウラギリ主峰 登山隊の皆様 

徳島ダウラギリ主峰登山隊2007

山遊なかよしカタツムリ


現地での直接 天候 雪質 体調 その他総合判断こそ
 皆様 考え抜いた末の ご決断と思います。
外野席の私など 皆様の ご英断に 敬服する次第です。

今回は さぞ 悔しい思いでしょうが 
全員 無事無傷で帰国がなによりです。

また いずれ なんらかのチャンスも巡ってくることを 
こころより祈念申し上げます。

ところで 『生きた 還った』
メスナー著 横川文雄訳 1987年 東京新聞発行
のダウラギリの部分を読み返してみました。

メスナーも 3度目の正直で登頂でした。
天候だけは いかんせん どうしようもないものがあるのでしょう。

「この山では しばしば荒天が襲来するので、とくに危険な山とされている。」

こうした悪天と戦いながらも
ダウラギリでは 何隊かが最後まで頂上への試みましたが、今秋の状況はとても厳しかったようです。

DODO KOPOLD 、 HONG BIN, KIMFredrik Ericsson 
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2007年秋 ダウラギリ(8167m) 

注目のスロバキア登山家 DODO KOPOLD (1980年生まれ)
障害を克服し活躍する韓国 登山家 キム ホング ビン
ダウラギリ山頂から初のスキーの滑降を目指す。
Fredrik Ericsson スウェーデン スキーヤー

彼らは 2007年10月14日 ダウラギリ山頂アタック 。
「ポールがあって、より高いものは何もなかったように思えた場所で、 私はポールの写真を撮りました。」

DODO KOPOLD 、
HONG BIN, KIM 、
Fredrik Ericsson 
結局 皆 BCまで 一応 無事戻ったようだが
完全に 登頂成功したかどうか 現時点ではよくわかりません。

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10月17日時点では
DODO KOPOLD 、HONG BIN, KIM 、登頂したかどうか
更にFredrik Ericssonだけが登頂成功したかどうかなど よくわかりません。

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結局 山頂手前の 偽ピークまで到達したようでした。
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 イタリア人ロマーノ・ベネトとニヴェス・メロアは2005年5月 の「登頂?」のあと、 2006年に再登し完登 した。


2007年 春 、2006年 春



8-2007-10-08-05-47-480_0004.jpg


K2climb netによると 2007秋のヒマラヤは天候が悪く
http://www.k2climb.net/news.php?id=16609
「埋まる! こんな顕著な秋の季節が、ヒマラヤにありましたか? 雪の負荷と荷
重はチョーオユー以外のすべてのサミットの試みをオミットしました。 シシ
ャパンマ中央峰でさえ到達することができませんでした。そして、10月15日(日曜日)に、
ニベスとロマーノがまた、マカルーで彼らの山頂へのプッシュを中止しなけれ
ばならなかったというメッセージが到着しました。 それをもって、すべての
目がダウラギリに集まりましたが、KingaとDodoは8157mに達した後に退却し
なければならなかったと報告されています。」


DODO KOPOLD

● DODO KOPOLD 
(注目の人)
(1980年生まれ)スロバキア

2007年春から 8000mのダブルヘッダーを二つ 計4峰トライしている。

うちCho Oyu, Shisha Pangma と Nanga Parbatは登頂済み。
(K2は登れなかったが 驚異的なスピードでボトルネックの下8000mまで達した)

はじめ春先には 高度障害で頭痛に悩まされていたブログの記述があるのだが、
その後 連続的に 8000m峰に登っているので 常に高所順応済なのだろう。

(また痛ましいことに Shisha Pangma では同行者が行方不明とか)

ダウラギリは今年 8000m5峰目の挑戦

2007年
9月22日カトマンズを出発
9月23日ポカラからヘリでBC入り 以降BC滞在
10月3、4日C2下までいってBCへ戻る
10月7日 一度C1目指し登り始めるが雪崩でリターンBC
10月10日 再度 C1へ
10月12日 C3 設営
10月14日 山頂アタック 
10月15日 C1からBCへの途中 激しい雪で 途中 ビバーク
10月16日 BCに戻る。
10月18日 BCからヘリ、カトマンズ到着、2日間滞在後、帰国予定

10月19日 DodoのWEBサイトに山頂アタック時の写真が公開されていました。
http://www.himalaya2007.expedition.sk/3/index.php?page=fotogaleria



http://www.himalaya2007.expedition.sk/

2007年 Dodo KOPOLDの ブログの日本語訳
(注意 ここでの C1 C2の位置は 徳島隊のとは異なっているようだ。)
---------------------------------------------------------
現時点では
DODO KOPOLD 、HONG BIN, KIM 、登頂したかどうか
更にFredrik Ericssonだけが登頂成功したかどうかなど よくわかりません。

結局 山頂手前の 偽ピークまで到達したようでした。
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11月14日

フレドリック、キム(韓国)、キムの2人のクライミングシェルパと共に、私た
ちはダウラギリのサミットに到達しようとしました。

深雪を4日間登攀したの後に、私たちは続けるのが危険と感じたポイントに来
ました。 雪崩のリスクは非常に大きく、我々は多分ダウラギリのサミット尾
根の8000m上のどこかであるということでした。 私たちは吹雪と雪崩危険のた
めに3日間かけてベースキャンプに降りました。
とにかく、私たちは同じくらい高く登ったのがうれしいです。

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10月17日 Dodoのブログ から 

「10月16日 (昨日)、私たちには、それは非常に難しかったです。 私たち
は夕方に 濡れて、疲れていた状態でBCに戻りました。 風当たりが強く、多
くの新雪があって、視界は悪かったです。 C1からの道のりは私たちには時間
がかかりました。 私たちは凍傷なしで問題ありません。

全体的に、登頂は 多くの雪のために非常に難しかったです。 ダウラギリ山
頂からスキー滑降を目指していたスウェーデン人フレディックエリクソンと、2
人のシェルパアシスタントをしたがえている 手に障害のある韓国人の登山
家と 私たちは一緒に登りました。

私たちは山頂への尾根を登りましたが、ポールがあって、より高いものは何も
なかったように思えた場所で、 私はポールの写真を撮りました。 シェルパが、
これがサミットであると言ったので、韓国人もそうしました。

Fredrikは、私たちがサミットにいるかどうかを疑いました。

Fredrikは、続けていこうとしましたが、すぐに取って戻ってスキーでダウン
ヒルをしました。彼は首尾良くBCについて BCを離れました。 私たちはそれ
以上 彼に会いませんでした。

私たちは、あえて私たちがサミットについたかどうかを言いません。
私たちの腕時計は8.076mを示しましたが、それは本当に適切ではありません。
私たちは、それがサミットであったかどうかはっきりさせなければなりません、
そして、あなたに知らせるつもりです。
私たちは今日BCを立ち去らなければなりませんでした。しかし あまりに多量
の雪があって、私たちのポーターは来ませんでした。あまりに多量の雪がフレ
ンチパスにあります。 たぶん、私たちは明日ヘリコプターで行くつもりです、
そして、この場合、明日か明後日、カトマンズにいるでしょう。」

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10月16日

「2007年10月16日 Dodo のブログから

BCに戻りました。
私たちはBCにいて、すべてが問題ありません、疲れています。

詳細は後で。 」

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10月15日
私たちはC1から下降しています。 大雪が降っていて、したがって、歩きにく
い、私たちは疲れています。

今日、BCまで行きたかったのですが、私たちは行く道を見つけることができま
せん。 私たちは、ビバークして、明日、続けて降りるつもりです。 私たちは
BCから更に書くつもりです。

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10月14日 
本日 山頂アタック。8157mまで

「私がコックから電話によると、DodoとKingaは8157mに達して、Camp IIに戻
りました。」 このメッセージは別のチームによってBCに送られました。
「私の推測では、、明日午後BC到着、」
---------------------------------------------------------

2007年10月14日
「今日のサミットの試み
私たちには、DodoかKingaからの少しのニュースもありませんが、私はPasang
からそれらの世話をしているシェルパAdventure Travelからメールを受け取り
ました:

「私は今朝Dodoのコックと話しました、そして、Dodo、Kinga、および別の
チームは今日、サミットのための2日前のキャンプ3を設置しました。」 私は
遠征の成功を願っています。
「私たちは、ポーターをBCに送って、10月16日にBCに達して、17日の朝、
BCから戻るつもりです。」

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10月9日

「今日は予測と違って 本当に良い日であった。晴れた空、雪崩もない。 そし
て、私たちはBCで過ごしました。
明朝、水曜日に私たちは再びC1に行くつもりです、そして、よければ、さらに
上へ 行こうとするでしょう。」

10月8日
私たちは再び戻っています。大きい雪崩が私たちの行く手へ落ちてきたとき c
ca 5100mで 戻りました。 幸い、私たちは(雪崩の)中にいませんでし
た。 また、最初の雪崩の後に、2番目の雪崩がありました。私たちはBCをより
早く出発しなくて幸運でした。

現在 だれもC1にはいません。1.5m の新雪に埋まったテントだけです。 フラ
ンス人は それらの2回の雪崩の間を何とかBCまで下りました。 運がいい人だ。
さしあたり、BCに戻ってみて、私たちのスタッフと一緒なのは幸せだに思えま
す。
出発している遠征のためのポーターがまだ来ていなかったのでBCへの道は さ
しあたり最も良くないように思えます。
私たちには、数日しかありません。 多分、状態は、より良くなるでしょう。
そして、私たちには、別のチャンスがあるでしょう」

10月7日
「天気は最も良くはありません。 雪が降り過ぎるというわけではありませんが、
私たちは雪崩の音を聞くことができます。

フランス人は彼らの出発に関するメッセージをC1から私たちに送ってきました。
私たちは彼らがBCまでか帰途につこうとかまでは知りません。
私たちは月曜日に再び上がりたいと思います。 コックがBCに退屈し始めるの
に応じて、C1にスキーを持っている1人のスウェーデン人と私たちと たぶん
私たちのコックも一緒に行くでしょう。
私たちは、状態が向上するまでC1に滞在するのを計画しています。 たぶん、
私の電話に関する問題があり、私は数日間、メッセージを送るつもりはありま
せん。 」

10月4日

「C2の下で終わった試み--補足 COMPLEMENT」

「私たちはフランス人、オランダ人、およびオーストリア人と共に昨日4時
頃にBCを、出発しました。 多くの雪があるので、私たちは C1への道のり
に 9時間以上かかりました。

私たちは昨日 午後にC1に達しました。

私たちは今朝、C2を他のものと一緒に出発しました。
とても多量の雪があるので、2人のチームでは登り続けるかいがありません。
私たちには非常に良く感じましたが、 残念ながら、C2の下のどこかで雪が
降り始めました、そして、視界は悪化しました。

私たち全員(全員)は、C1に
リターンして戻ると決めました。 そのなかで私たち2人はBCまで戻って、他
のものはC1に滞在しました。 今後の天気は何日間かは、よくありません。
天気予報は曇天と降水をアナウンスしています。
私たちは すばらしく感じます。 私たちは、しばらく いい状態になるの
を待ってから、再び上がるでしょう。」


10月2日 Dodo KOPOLD ブログの日本語訳

「6日間の大雪の後に、遂に晴れました。 私たちはもう雪崩を聞きません。
多くの新雪があり、山の状態は悪化しました。

しかし、今日それは希望に満ちているように見えます、そして、、私たちは
4時頃に明朝、フランス人と共にC1(5.500m)に行くつもりです。 それはBCか
ら私たちはcca(c1? ABC ? )まで 7時間かかるでしょう。

そこで、私たちが、何をしたらよいかを決めるつもりです。

既に、晴れて暑い1日の間では、夜は寒いです。 最後の数日が非常に寒かっ
たので、私のソーラー・パネルは凍りました、そして、私たちはバッテリー
によるフランス人の助けを必要としました。
大いに雪が降りました、そして、すべてが覆われたupthereです、そして、
彼らが、山に既にいくつかのデポを残している人々はそれらを見つけられる
か恐れています。 すべての固定ロープが雪の下に埋まっているとして、日
本の遠征隊は出発を考えています。」

DODO KOPOLD 経歴

1980年生まれ。
スロバキア 国家の代表チームのメンバー。
スロバキアのMountaineering Unionから「銀のcarabiner2002、2003、2004」「Gold carabiner2005、2006」など多数の表彰を受賞。
著書「最初のHimalayaでの登高 」

2002:
Miyar Valley, Himachal Pradesh, Castle Peak, new route, capsule style, “SHARP KNIFE OF TOLERANCE”, VI 5.12a A3, 550m

2003:
Miyar Valley, Himachal Pradesh, Mount Mahindra, new route, alpine style, “LAST MINUTE JOURNEY”, ED1, 900, 900m

2004:
Karakorum, Shipton Spire 5900m, first repetition, alpine style, “KHANADAN BUTTRESS”, VI 7+ A1, 1.200m

2005:
Karakorum, Great Trango, new route, alpine style, “ASSALAM ALAIKUM”, VII 8 A2 ABO, 90 pitches (more than 3.000m)

2006:
Patagonia, Cerro Torre, 100m below the summit
Karakorum, Hainabrakk 5800m, new route, alpine style, “DOLZAG DIHEDRAL”, VI/6 , 1000m
Karakorum, Uli Biaho Tower 6109m, new route, alpine style, “DRASTISSIMA”, VI/6 ABO, 1800m

2007:
Himalaya, Cho Oyu - summit, Shisha Pangma - summit, Nanga Parbat - summit
Karakorum, K2 - 8000 meters





●KINGA BARANOWSKA (女性)ポーランド

http://www.kingabaranowska.com/

http://wyprawy.onet.pl/30169,472,1439524,ekspedycja.html


2003 Cho Oyu (8201 m)
2006 Broad Peak'a (8047 m)
2007 Nanga Parbat (8125 m)

Dodo と一緒のチームメンバー Nanga Parbatに2007年7月登頂
10月5日付のの彼女のブログ(ポーランド語)によると 
C1 付近では 韓国隊のテント以外の各隊すべてのテントは 
雪の深さ 1.5-2m位下にあるようだ。


キム ホング ビン (HONG BIN, KIM)


韓国 登山家 キム ホング ビン さんのサイト。

http://www.kimhongbin.com/main.html


最新情報 2007年11月7日 
ダウラギリ?峰 の写真公開
キムホンビン氏の写真を見ると 凄い積雪だったようですね。

「暴雪 2mの雪が降った日...
登山中 5m 程度の雪が降った.」

http://hongbik.com.ne.kr/album/


2007/10/31
既に 2008年の予定 ハンディーを感じさせない活躍ぶりだ。
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予定
2008 マカルー(8,463m) ボムシズン登山
2008ガッシャブルム?(8,068m)夏シーズン登山
2008 チョ・オユー(8,201m) 秋シーズン登山
2008 南極大陸最高峰ビンソンマシフ (4,897m) 冬シーズン

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2007ダウラギリ秋 かなり厳しい 下山だったのでしょう。

KIM HONG BIN,  掲示板皆さん激励おかげさまで無事に.... 作成日: 2007/10/20 作成者: ギムホングビン 「寒さと多くの積雪量で BCですべての荷置いて一人だけダルンティムヘリでカトマンドで 18日脱出成功.... 4日間水の外に食べることができなかった関係で現在体はよくなっています. ポーターたちが上って来ることができなくて 25日まで BC荷物が撤収が可能だろうかは分からないが, 25日大韓航空で帰国予定です. ヘヘ^^ 心配キチォドリョ申し訳ありません. お腹がすきます~~~~~」


「キムさん(HONG BIN, KIM)は
9月24日からC1にあがり 30日BC
再度上がって 10月5日にBCへ
10月10日  は再々度C1に上がりました。
やはりテントが潰れていたようです。
10月13日山頂へアタックの予定。
10月14日山頂手前まで
10月16日 BCへ
10月18日 ヘリで脱出 カトマンズへ 
10月26日 韓国帰着」


91年の事故でのハンディキャップを感じさせない 驚くべき活躍ぶりです。
ことにハンディーを負ってからの彼の活躍を見ると 
人間が山に登るのに 一番大事なものは 一体 何だろうかとか 深く考えさせられます。

今後の ますますの ご活躍 と幸運を 祈念します。

以下 サイトから凄い経歴をみてみました。
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キム ホング ビン (HONG BIN, KIM)
64年 10月 17日生まれ旧暦 (O型)

2007 ダウラギリ(8,167m) 8月 30日出国
2007 南極大陸最高峰ビンソンマシフ (4,897m) 冬シーズン
2007 ダウラギリ発起式 8月 28日火曜日夕方7時
光州鉱泉ターミナル後明日新聞3階


世界7大陸最高峰登山中...
8000m級 14座 登山中...
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キム ホング ビン (HONG BIN, KIM)
64年 10月 17日生まれ旧暦 (O型)
KIM HONG BIN,  登山経歴

64年 10月 17日生まれ旧暦 (O型)

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登山
83年光州ソンウォン大学山嶽会
84年光州.全南岩壁大会 2位入賞
84年全国山登り大会 3位
88年雪岳山土用幅登山
89年冬季エベレスト(8,848m) 登山
90年パキスタン ナンガパルバット(8,125m) 登山
91年北米マッキンリ(6,194m)単独登山の中で事故で両手切断
97年日本立山(3,015m) 登山
97年ヨーロッパ エルブース(5,633m) 登頂
97年 アフリカ キリマンジャロ(5,895m) 登頂
98年南米アコンカグア (6,962m) 登頂
98年北米マッキンリ (6,194m) 登頂
99年南米アコンカグア (6,962m)・ セルトレ(3,128m) 登山大将
99年キルギスタン レーニンピーク(7,134m)登山
00年マナスル(8,163m) 8,063m 到達
00年エベレスト(8,848m) 登山
01年白頭山(2,744m) 1月 1日来光登山
01年アルパインクライマー上月刊人科山
01年今年の山岳である受賞韓国大学山岳連盟
02年北米 マッキンリ (6,194m) 登頂
02年アフリカ キリマンジャロ(5,895m) 登頂
03年キルギスタン レーニンピーク(7,134m) 登頂
05年中国 コースクロック(7,028m) 未踏峰登山
06年ガッシャブルム1峰(8,068m)登山, ガッシャブルム2峰(8,035m) 登頂
06年シシャパンマ南壁(8,027m) 登頂
07年エベレスト(8,848m) 登頂
07年オーストラリア大陸 コジウスコ (2,228m) 登頂
07年ネパールダウラギリ(8,167m) 登山

現在 ソンウォン大学山嶽会 O.B

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スキー
89/91全国体育典ノルディックスキークロスカントリー, バイアスロン 1,2,3位
95年全国体育典アルパイン大回転一般部 3位
00年全国体育典アルパイン回転スキー障害人足 2位
01年障害者福祉振興会杖配 1位
01年生活体育リーダー 3級資格取得
01年オーストリア FIS-IPCワールドカップアルパインスキー大会
02年アメリカソルトレイク冬季オリンピック
02年オーストリア FIS-IPCワールドカップアルパインスキー大会
02年ニュージーランドチァムピオンスィブアルパインスキー大会
03年オーストリア FIS-IPCワールドカップアルパインスキー大会
04年オーストリア IPC アルパインスキー選手権大会
04年第1回冬季障害者体育大会 1位
05年カナダ北米コップ大会
05年第2回冬季障害者体育大会 1位
05年オーストリアチロル IPC ユーロピアンコップ大会
06年平昌 IPC アルパインスキーワールドカップ大会
06年長野現価高には IPC アルパインスキーワールドカップ大会
私はアルパインスキー障害者国家代表選手
http://ksfd.com/main/main.asp
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経歴

90年国際話題保険設計士
92年全盛起工電算室
93年 2種普通運転免許取得(1種普通返却)
94年クラブ900 ゴルフ場(掘削機, ペルーだ, 2.5tトレード, 7ギャングモア)
03年ハンソル建設(株)
05年スポレンド
現在エコーローバー広報理事
http://www.echoroba.com/
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学歴

77年コフン郡東江面青松小学校卒業
80年宝城郡筏橋邑筏橋中学校卒業
83年順川市Maesan高校など学校卒業
85年ソンウォン大学卒業
90年光州大学校卒業
07年全南大学校経営専門大学院在学
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住所

光州広域市
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Fredrik Ericsson スウェーデン 


●Fredrik Ericsson スウェーデン スキーヤー

ダウラギリ山頂から初のスキーの滑降を目指す。
http://www.fredrikericsson.com/Default.aspx

2004 Shisha Pangma 中央峰(8012)からスキー
2005 Gasherbrum 2  (8035m)からスキー

(注意 ここでの C1 C2の位置は 徳島隊のとは異なっているようだ。)

動画あり



2007年10月3日 Cho Oyu では
アラスカ アンカレッジの3人のクライマー
Tyler Johnson, Rory Stark と Will Stark が山頂からスキー滑降した。
Rory と TylerはC1までスキーを外さなかった。



http://www.fredrikericsson.com/News.aspx


2007年10月17日

「雪、 雪 、雪、少しだけスキー」

「先週、天気が変化して、少しの日光がありました。私は、他の登山家5人、Dod
o(スロバキア)、Kinga(ポーランド)、キム(韓国)、およびキムのクライミング
シェルパ2人と共に、私はダウラギリのサミットに到達しようとしました。

深い雪の登攀を4日間した後に、私たちは続けるのが危険だと感じるポイント
に来ました。 雪崩の危険が非常に高かったのです。私たちは海抜7900mにいま
した。そこが私の最も長いスキー滑降の頂点(トップ)でした。 そこから 
大部分パウダースノーでベースキャンプまで高度差3000m以上をスキー滑降し
ました。 私がその晩 スキーを外す前に別の吹雪がやってきました。 私がカ
トマンズへの途中に 高度を下げていくと 雪は雨に変わっていきました。

私のコンピュータは調子が悪いので、、ダウラギリのスキーと新しい写真に関
するもっと詳しい情報は次回の更新で行います。」

10月6日 ブログ 日本語訳


「壊れたテントと、より多くの降雪」

「私はC1の4日間の訪問の後に再びベースキャンプに戻っています。 山頂へ
の私の望みはダウラギリへのさらなる降雪によって打ち砕かれれました。

火曜日にC1に到着して、私は白い雪の平坦な空き地を見つけました。 我々
の誰もがテントをなんら見ることができず、1組のスキー・チップだけが雪
を上につき出していました。 1.5メーターの新らたな雪は テントを覆って
いました。 それの場所を見つけるように位置を調べたあと、積雪を2時間の
間 雪堀した後に、私は、私のテントが打ちこわされているのがわかりまし
た。 ポールの1つは壊れてテントの側面の大きな穴があいていました。 ま
た、C1で掘り出された他の大部分のテントも壊れていました。

翌日は修理日です。針 糸、ダクトテープのロールで、テントを使えるよう
に直しました。 少しの休みなく午後に私は、短いスキーハイクにでかけ、
キャンプに向かって滑ってみて いくつかの回転をしました。

木曜日に、C2に達する試みをしました。 深雪を4時間かけてのトレイルをつ
けた後に、雲が すばやくやって来ました、そして、雪が降り始めました。
視界がなくなり、私たちはどこに行っているか見えないので、C1に戻ると
決めました。

金曜日も 良い天気でなく、朝 山を囲む暗い雲が正午までには 降雪に変
わりました。 不安定な天気に飽きていたし Budhi(随行者の人名)の食べ物
がほしいので、私は、BCに降りて戻ると決めました。

この秋は、私たち登山家にとっては簡単ではありません。 それは、山の青
空と日光は 私たちを おとり のように誘い出して やがて吹雪を私たち
の顔に吹きつけたりします。 登山家の多くが、今年、ダウラギリのサミッ
トへの彼らの望みをあきらめて、帰途についています。 日本のチームは何日
か前に離れました。そして、オランダ人、オーストリア人はポーターが彼ら
の装備をとりにくるのを待っています。
許可証の上では もう10日間を過せます。私はDodo(スロバキア 登山家)
から月曜日には高気圧がきて、それが数日間 いい天気をもたらすという天気
予報を聞いていますので、 月曜日の朝には、私が再びC1まで向かうことにな
ります。積雪条件 次第では ゆっくり山に登ります。 これが今年 ダウラギリ
山頂への 最後のチャンスになるでしょう。」



10月1日 ブログ 日本語訳

「6日間の降雪」

「ついにに太陽は6日間の降雪の後に再びダウラギリを照らしています。 雪
のシャベル作業から解放されコーヒー飲酒に変わりました、そして、視線は
サミットに向かっています。

天気で気分がどのように変化するか、信じられません。
太陽が照って幸福で満足であり、雪が降っていると 悲しい。 その前の週
に、私の気分はボールのように弾んで、ダウンしています。 10日間の良い
天気と良い高度順応させていて、すべてがすばらしく見えました。そして、
自己確信がトップにありましたが、 やがて、雪が降り始めました、そして、
数日間で どんな変化も去りました。 雪が私のテントを埋め尽くし、6日間
の後に降雪で、雪壁が囲み、絶え間なく積もってしまいました。ますます多
くが否定的になり、 山頂へ行くより どう谷へを出るか 考えました。

日曜の朝にダウラギリの北側リッジの上で青空と日光で目覚めました。 す
ぐさま私のムードは変化しました、そして、私は頂上へのプッシュへの計画
を練り始めました。 少しの太陽で何ができるかは、おもしろいことです。

明日、火曜日に、私は、オーストリア人 Andreasand、と Lawrence とオラ
ンダ人 Edvin 、トマスらとベースキャンプをでてCamp1までトライするつ
もりです。 私たちは固い雪の上を歩くことができるように朝早くでるつも
りです、そして、うまくいけば、暑くなる前にC1に達するでしょう。 韓国
人の登山家キムによると 昨日、C1のテントサイトはすべて雪で覆われてい
たとのことです。 したがって、私は、最後に訪れ建てた テントを探し 
多少掘って掘り出した後、もし条件と天気ががよければ、C2 C3に向かって
進み続けるつもりです。 金曜日の朝非常に早く、私は、スキーをbackpack
につけて、C3の私のテントを出て、Dhaulagiriのサミットに向かって登り始
めるでしょう。」


Edwin Klerkx  Tomas van Hoek  オランダ人


●オランダ人

Edwin Klerkx  
Tomas van Hoek

http://www.7thsummit.nl/

ブログ http://7thsummit.blogspot.com/

(注意 ここでの C1 C2の位置は 徳島隊のとは異なっているようだ。)



10月9日
「登頂に成功する最後の試みをしましたが、私たちは先週末にBCに帰って来ました。
私たちは、、私たちのすべての装備をカトマンズに返す準備しなければなりません。」

10月1日

「明朝 10月2日 4時にBC発で上へ向かう
同行は (オランダ人2人の他に) 
スキーヤー フレディック(Fredrik )
オーストリア人 アンドレアと ローレンス
(Andreas and Lawrence)
幸い 高度順化は十分だ。 
天気予報も良好だが残された時間がない。 次の週 もし 状況が良ければ
 5-6日間で頂上へプッシュできるだろう。 ベースキャンプへいいニュース
を持ってこれるかもしれないが、 大事なことは安全に無傷で戻ってくるこ
とだ。」

9月30日

「 1週間の大雪の後 ついに 空が晴れて太陽が顔を出した。 フランス
チームがC1からベースキャンプに戻ってきた。 雪崩で冷や冷やしながら9時
間かかった。 4時間以上余計にかかった。 今朝 韓国人が2人のシェルパ
とベースに戻った。補給もなくC1で雪に閉じこめられていた。一日がかりで
おりてきた。
もし雪がふらなければ 上へ登れるが今日明日ではない。 山は大変危険で
 タフだ。雪崩で悪評高いアイガー壁は常に雪崩が落ちて いる。

タフなルートにフィックスロープは見つけられない。

我々のテントが見つかりますように、そして頂上へのプッシュに残された時
間がありますように。
読んだり 待ったり 考えたりしながら時間を過ごす。

フランスチームは楽しい人たちだ。 今晩は 彼らとともに過ごす。」


ダウラギリ ?峰 登山 2007春



9-dhaulagiri2007-480.jpg

Dhaulagiri. spring
ダウラギリ 2007 春 登頂者
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2007年4月26日登頂

Inaki Ochoa (イニャキ・オチョア(39))登頂
Jorge Egocheaga (ホルヘ・エゴチュアガ ) 登頂
http://www.navarra8000.com/
24-hours push.
Camp 2 (6700)から
Inakiは 8000m12番目.

Jorgeは下降中雪崩にあい その後ヘリで救出 
------------------------------------------------------------
2007年4月29日登頂

Josep Noguera (ホセプ・ノゲラ (36))登頂
Roger Sellent  (ロヘル・セリェント (35))登頂
(スペイン カタルニア)
http://www.telefonica.net/web2/dhaulagiri2007/index.htm

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2007年4月29日登頂

イタリア

ジャン・マオロ・カーザロット (51)登頂
クリスチーナ・カスターニャ (29)登頂
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2007年5月1日登頂

ホリア・コリアバサヌ  Horia Colibasanu (ルーマニア)登頂
http://www.alternativetm.ro/activitati/expeditii/dhaulagiri/index.php?modul=prez
------------------------------------------------------------

2007年5月1日登頂

ジョエル・ブルーバッヒャー(スイス)登頂
リヒャルト・プリル(ドイツ)登頂
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2007年5月1日登頂 カザフ 詳細

Mr. Sergey Samoilov (49 yrs), Kazakhstan登頂
Mrs. Svetlana Sharipova (37 yrs), Kazakhstan登頂
Mr. Yevgeniy Shutov (26 yrs), Kazakhstan登頂
Mr. Sinev Dmitry (34 yrs), Russian登頂

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2007年5月2日登頂 カザフ
 Denis Urubko (デニス・ウルブコ1973年生まれ)登頂 詳細

(スピード記録は救助活動で断念)
Mr. Denis Urubko (33 yrs), Kazakhstan (11峰/14峰8000m)

この後 2007年秋 K2 (North Ridge )登頂 (12/14座8000m)詳細

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以下 遭難 事故など
2007年5月1日
Urubko スピード記録は救助活動で断念
Boris Korshunov had caught night without tent below Camp 3,

スピード記録 Denis Urubkoはスピード記録樹立は諦めたが 1995年 17時間でBCからダウラ山頂へいってきた人がいる。 http://www.mounteverest.net/news.php?news=15923 http://www.explorersweb.com/news.php?id=15936 Kazakh Anatoly Bukreev, who covered the distance between BC and Dhaula summit in 17 hours and 15 minutes back in 1995.


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2007年5月13日
スペイン人2名 雪崩遭難行方不明

Santiago Sagaste
Ricardo Valencia.

http://www.dhaulagiri2007.com/noticiario/130507/not-1.htm
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2007年5月1日
Dhaulagiri.山頂 直前

イタリア人滑落 死亡 
Sergio Dalla Longa
http://www.mariomerelli.it/
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2007年4月30日

JorgeEgocheaga (ホルヘ・エゴチュアガ )は登頂後 下降中に雪崩にあい
氷河でビバーク クレバスに落ちる BCへ生還 その後 ヘリで救出
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ダウラギリ ?峰 登山 2006年 春


2006年春は
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2006年5月3日

カザフの- Dhaulagiri/Annapurnaの ダブルヘッダー
Maxut Zhumayev マクスト・ジェマイエフ (1977年生まれ)登頂
Vassiliy Pivtsov ヴァシリー・ビフツォフ (1975年生まれ)登頂

ダウラギリに 続けて アンナプルナ登頂!

http://www.mounteverest.net/news.php?id=15409

2007年4月 エベレスト (チベット側から)登頂
(11峰/14峰)
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2006年5月17日

イタリア人
ロマーノ・ベネト登頂
ニヴェス・メロア登頂

ダウラギリの後 アンナプルナは敗退、 K2は登頂成功

http://www.nives.alpinizem.net/
http://www.nives.alpinizem.net/?ATTIVITA%27_HIMALAYANA:DHAULAGIRI_2006

2007年 エベレストは登頂 、マカルーは撤退
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2006年5月27日

ブルガリア

ゾルト・エロス登頂


どちらを 見ても 山頂に見えるが。。。。

2006年5月17日

イタリア登山家ロマーノ・ベネト、ニヴェス・メロアのダウラギリ登頂の写真

2006年写真

2005年写真

どちらを 見ても 山頂に見えるが。。。。

 イタリア人ロマーノ・ベネトとニヴェス・メロアは2005年5月 の「登頂?」のあと、 2006年5月に再登し「完登」した

2007年5月のカザフ隊登頂の写真と記録


ダウラギリ?峰 登頂者1998-2006

引用
The Himalayan Database Elizabeth Hawley Database created by Richard Salisbury



10-dhaulagiri_1998-2006.gif

引用
The Himalayan Database Elizabeth Hawley Database created by Richard Salisbury





徳島ダウラギリ主峰登山隊2007

山遊なかよしカタツムリ


007年10月8日 第1版制作
2007年11月7日 更新

ダウラギリ2007秋


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ダウラギリ主峰2007

ダウラギリ2007秋



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ダウラギリ主峰2007



ダウラギリ主峰2007


ダウラギリ主峰2007

平成19年徳島ダウラギリ主峰徳島ダウラギリ主峰登山隊2007から お元気な便りが届いています。


徳島ダウラギリ主峰登山隊2007

山遊なかよしカタツムリ

登山の経過などは ダウラギリ2007秋

ダウラギリ主峰登山



1-dhaulagiri2007-480.jpg

グーグルアースで色々と楽しんでみました。

GoogleEarth (kmz)

2-dhauragiri_32-480.jpg
飛行場とダウラギリ主峰との距離は25km

3-kobler2007-481.jpg

グーグルアースでしめされたルートはスイスkobler-partnerの2007年秋の北東稜 コース。
2007年 8月29日-10月12日予定。
以下のドイツ語PDFファイル から引用しています。

http://www.kobler-partner.ch/pdf/expeditionen/Dhaulagiri.pdf

http://www.kobler-partner.ch/index.php



4-kobler2007-482.jpg

このコース図も上記同様

http://www.kobler-partner.ch/pdf/expeditionen/Dhaulagiri.pdf

http://www.kobler-partner.ch/index.php
から引用しています。




●スペイン人   スペイン語 

http://www.trekkingdhaulagiri.com/index2.html

行方不明者捜索




●オランダの方2人オーストリアの5人と合流している。

計7人のサイトとブログは一部英文があります。



ブログ

http://7thsummit.blogspot.com/



コースは北東稜 

http://www.7thsummit.nl/Climb_engl.html



ダウラギリ主峰

初登は1960年スイス隊。
1970年に第二登した日本隊のサミッターのかたはは四国の出身とか

飛行場



拡大地図を表示


地図


飛行場

5-jomsom_481.jpg

エプロンの駐機中の飛行機の形まではっきりみえる。
R/W上の24は(磁方位240度)

壮行会


6-20070804ge480.jpg


素晴らしい壮行会でした。
壮行会で盛りあがったモチベーションを そのまま 高く維持して、
イメージなされた通りの登山を どうか存分に、お楽しみください。
祈 完登! 無事下山!

7-plan_480.jpg

登山計画書も見せていただきました。

徳島ダウラギリ主峰登山隊2007壮行会のときの趣深山ブログ

徳島ダウラギリ主峰登山隊2007

山遊なかよしカタツムリ

2007秋の登山隊

続編です

ダウラギリ2007秋






2007年9月6日 第1版制作




ダウラギリ主峰2007


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小松由佳さん講演会


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小松由佳さん講演会
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http://shumiyama.web.fc2.com/yomoyama/komatsu2006.html

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K2サミッター小松由佳さんから 講演中 何度か 「運 、不運」という言葉を 聞いた。

K2のような大きな山の中では 所詮 人の力などでは どうしようもない、自然の驚異。
ただ「運 、不運」と、 自分の力では 何ともしようがないと諦めるだけ のことでもない。

 「運 不運」はあっても、やはり 人間ができることは 一生懸命 自己の可能性を高めるようと 努力をすること。

すっかり忘れかかっていた 「情熱」  という言葉を聞いて 熱くなるものを強く感じました。

今回講演を主催された 徳島岳人クラブの方々、また 2007徳島県ダウラギリ1登山隊の「7人の侍」方々、有り難うございます。

もとより
 K2登山の成功は27年間 ずっとK2への計画を練り上げてきた、東海大学K2登山隊の長年のご努力、全体の成果であり、チームワークの賜です。

東海大学登山隊の関係者各位には 目標としている全員無事下山を果たされましたことなど、 何よりのこととして、 心より 登山隊登頂成功の ご祝福を申し上げる次第です。

また わざわざ 四国までこられた 小松様には 貴重な お話 有り難うございました。


東海大学K2登山隊2006
http://www.u-tokai-k2.jp/index.htm
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徳島県板野郡松茂町総合会館
(以下講演抄録についての このウェブサイト上での文責は趣深山)

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平成18年12月9日
場所 徳島県板野郡松茂町総合会館

はじめまして 小松と申します。
今日は このような場にたてるのを 大変 嬉しく思います。
今日 私は 初めて四国にやってきました。
午前中は 鳴門の渦潮なるのものを みてきまして、漁船が ゆっくり うかんでいく のをみて なんて 時間が ゆっくり 流れるところかなと思いまして 、初めて四国にきたんですが 大好きになりました。

今日は 時間が 限られた1時間半ですが 私の登山。 そして 私の登山を通じて 可能性を追求することの大切さを知っていただけたらと思います。宜しく お願いします。



1-2006-12-09-480_017.jpg

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何となく山への憧れ 競技登山



まず 自己紹介ですが、私は 秋田県で生まれ育ちました。 秋田県の山の方で 緩やかな山が連なる山のところで育ちまして 小さいときから 何となく山への憧れがありまして、高校に入学したとき 登山部があり、 すぐに入部を決めました。

しかし、高校での山登りは 競技登山でして、インターハイ、国体をめざして、 荷物を 背負ってスタートからゴールまで走る、タイムを求める登山でして、高校3年生になって 自分がやってきたのを 振り返ってみて 確かに目標にしていた インターハイ 、国体に出場し、上位入賞したが、 自分は一体 何をやってきたのだろうかと思いました。やはり 山は雄大なフィールドで活躍するわけですから もっとルールのない登山をしてみたいと思いました。


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大学山岳部



それで大学は 神奈川の大学にはいりまして、大学に入学したときに山岳部に 入部を決めましたその山岳部というのは 非常に厳しい組織で 部活は厳しく、毎日5時から9時まで 部活があり、毎週 土日は 山。 年7回の合宿があったので、大体 換算すると学生時代は年180日から200日ぐらい山に入った。

今は 私は 登山用品店でアルバイトしながら 週2、3日 山へ行って、 海外に年に3ヶ月から4ヶ月行く。そういった生活を送っています。

それでは 大学山岳部の生活の中から どういう風に ヒマラヤを そして
K2を目指したかという話をしたいと思います。


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女性として 男性の1.5倍のトレーニング



私は大学山岳部に入ったときに、実は 高校が女子高校だったので それまで 女性の中で山登りをしていましたのが、ところが大学山岳部にはいると 女性部員は私だけ、男性ばかりの中で 女子部員は 私一人だったので、 女性として山の難しさを非常に強く感じました。

体力的な部分の問題 もありますが 、それ以上に 人々の眼があり 周りの
眼などありまして、女だからできない やれる筈がない 女だから体力がない筈だといったものが非常に大きくて、山岳部の4年間 かなり苦労しました。
 
特に後輩が入ってきたばかりの時に やはり女の先輩には ついて行きたくないとかで 、時には後輩とは けんかのように 激しく話し合いを 続けて、いった記憶があります。

やはり 山登りは 良い仲間がいて はじめて いい山登りが出来るので
 どんなに葛藤しようとも しっかりとした信頼関係を 結んでいくのが
 基礎的なことでして、4年間 女性として リーダーとしてやっていく上で 苦労しながら 話し合いながら本当のチームワークを築いていった期間でした。

人間界にいれば 女性 男性とかの区別がありますが 山へいくと 男とか 女とかに差はなく 、同じように 寒さを与えて、 同じように つらさ を与えます。ですから 無理に男性と女性とを分けることはないのです。

私は 女性ということで もともと筋力が弱いので 普段から男性の1.5倍
位は常にトレーニングをして 体力的には 常に平等に あろうと努力して
負けないようにしています。特に女性だから荷物を持てないとか などは 自分では区別を付けないようにしています。


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部活に活気を 海外登山計画



最近 どこの 大学山岳部も活気がありません。どの大学山岳部も 今は大 体 平均で2-3人が多い。 特に関東はどこも廃れています。

私の大学も 例にもれず 一年生で入ったときが 3人しかいなかった。その後 段々 後輩が増えてきて 4年生の時は後輩が11人でき 全員で12人 の部活でした。

あまり クラブ自体に活気がないので 一寸でも しごいているわけではないのに、厳しくするとすぐ やめてしまうものもいました。

ですから 部活自体に ハリを付けたい 活気を付けようと思い 何か 共通の目標をたてて そこへ向かっていく過程を経て 成長できるように 海外登山を 計画しました 。


前置きが長くなってしまいましたが、
ここから パソコン表示 お願いします。(以下 パソコン プロジェクター併用)

(写真は東海大学k2登山隊2006 写真館 に公開されています。)
また http://www.k2climb.net/news.php?id=14969
http://www.k2climb.net/ にもあります。



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チャンスは待っていても



実は私は ヒマラヤに行くというのはのは かねてより 長い間の憧れだったのです。

ただし チャンスは 人から与えられる チャンスと、 自分で作り出さなくてはいけないチャンス と2種類ありますが、  私の場合は チャンスが来るのを待っていたのですが、やはり 待っていても それは 来るものではないと気づきました。

そこで大学4年の時、自分で計画をたてて 後輩を引き連れて 海外登山をやってみました。皆 海外の山は 初めてで、全員 高い技術をもっていなかったので、費用が安く 夏休みに登れるところを 調べ、人に教えてもらって、山を選びまして、2004年に シンチャンウィグル自治区 未踏峰 6355mへいきました。この山の情報は 日本にいるときの情報は 地図一枚だけの情報でして それで計画して 現地へ行ってみると やはり計画通りにはいかず 色々な変更点が強いられまして、特に海外の山は 計画の柔軟性が求められるのが よくわかりました。

海外の山は 自分たちで ロープを張って道をつくる。

日本の山には登山道があって その道を辿っていけば 良いのですが、海外の山は  殆ど自分たちで道を作っていくのが面白かった。

海外の山はスケールが  大変 大きくて素晴らしい、これを機会に年3,4回づつ、海外の山へ行く生活が始まりました。

私の一番好きな山登りのスタイルは アイスクライミングでして、 アイスバイル、アイゼンを使って 氷の滝を登るスポーツです。

海外登山は その続きがあるんですが 韓国にあるアジアの最大の氷などを登りました。



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チョモランマ 



そのうち大学を卒業しまして ちょうど卒業するときに チョモランマへいかないか誘われました。
チョモランマはエベレストの中国側からの名前です。

そのとき 私は とにかく海外の経験が積みたくて参加しましたが、このときは 残念ながら 私は山頂にたつことはできませんでした。チョモランマは たしかに世界で一番高い山で、チョモランマに登ったこと 自体は すごいのですが、 やはり世界一ということで 最近では 登山者が集中し 非常に沢山の人が登っていて、2006年春には 約500人が登頂し、累計延べ3000人を越えています。

(注 k2は 講演時点で 延べ 253人[女性8人] 内 日本人 49人[女性1人])



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挫折 から また新しい自分の山登り



チョモランマから 日本に帰ってきてからも  なんとなく山に対して 失望しまいまして、昨年(2005年) 春、 2ヶ月位 山へ登る気持ちが失せました。

私はそれまで 山登りに情熱を ついやした生活を送っていましたので、山登りがなくなってしまうと、もうそれは 自分が なぜ生きてるか わかなくなってしまいました。なぜ 生きているのか ここにいるのか わからなくて、 勿論 山自体もやめようとして すべて山道具は箱へ詰めてゴミに送ろうかともしました。

そういった かなりの挫折があったのです。

そういったなかで 自分が初めて山へ登ったときの 新鮮な気持ちなどを思いだして、人が どう 言っても どうみられようとも 本当に自分は山が好きなんだ。 どう 思われても 自分は山が好きなんで、自分が納得して登れば それはそれで良いんだ。 自己満足ために登ろうと思って、 昨年 自分の山登りは また新しく生まれ変わったのでした。 



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K2への誘い



ちょうど その時に 実は大学山岳部から「K2に行かないか」と話がありま した。チョモランマのことがあって かなり挫折を経験した後 なので どうだろう 自分はK2にいって、 「ちから」 になれるのかなとも思いましたが、チャンスを失いたくはないので参加することに決めました。

そして  トレーニングを始めました。体力トレーニング。 走ったり 大学山岳部から続けていたが 1日 15Km位走って 自分と同じ体重の荷物を持って 山を歩くトレーニングをしました。

K2は体力だけでなく、かなり技術が求められる山なので、カナダへ行きまし
た。

カナダ はアイスクライミングと ミックスクライミングの先進地です。ミックスクライミングは日本ではまだ あまり取り入れられていない。アイスクライミングは滝を登る。

ミックスクライミングは かぶっているところでも アックス アイゼンを使って登ります。

ミックスクライミング 岩を伝ってのぼる。岩 氷 を登る先進地カナダで新しい クライミングの修行をしました。


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K2 南南東リブルート



2006年 6月から 8月までパキスタンのK2に登りました。

K2はインドの西 世界の屋根の西カラコラム山脈 パキスタン中国国境にある。
K2では 私たちは 登るルート として南南東リブルートを選んだ。



2-k2-map12.gif
http://www.u-tokai-k2.jp/route.htm より引用)


K2の それぞれの隊は 各の レベルにあわせ そのルートを選ぶが、岩の多い一般的で人の多い 南東ルートに比べ、南南東リブルートは 人が入らないので自分たちの力が最大限出せ オリジナリティーが出せるし、雪の要素が主体で、大学山岳部出身で 技術はないが 体力はあるので どちらかというと 体力勝負のルートを選びました。

K2は 「非情の山」 「世界で一番困難な山」と呼ばれている。

 中国名「チョゴリ」 「K2」は測量記号 カラコラム2号です。
パキスタンの地元の名がないのは あまりに谷の奥 昔から人の目に触れないところにあるから なのです。


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途中の道のり



谷の奥 車が入るところから 一週間歩いてやっと山へK2へ。 
アスコーレ から歩く。麦畑が美しい。2ヶ月間で合計荷物800kgを日本から3ヶ月かけて船便で送り、 ここからポーターに運んでもらう。

ポーター 一人 30kg 、ポーター  一日600円。

パキスタンは日本の物価の20分の一で、普通 成人男性 一日一生懸命働いて一日300円くらい。

物価の違いから 子供に接するのも 気をつけなくてはいけない。子供は 外国人みるとすぐ「マネー  マネー  スウィート スウィート 」という。優しさのつもりで 外国人が飴 ボールペンなど  すぐ何でも与えるのはよくないことで、贅沢を 教えてしまうことになるのではないか。

人なつっこいポーター。

憧れの トランゴタワー。クライミング要素主体の 難しい山だが日本でも しっかりトレーニングさえすれば登れるようになる。 人間やれば何でもできる。

生き倒れたロバ。 野生動物も倒れる。自然の厳しさ。

私たちはテント泊。

ポーターサークルは ポーターたちの寝床で 石を積み重ねて 彼らは10人ぐらいで固まって マイナス20度でも 一枚の民族衣装で生き残れる。強い人でないと生き残れない。

山羊は食料用で、通称「ゆきちゃん」と名付けた。 「ばへー」と啼く。山は急峻 緑のない乾燥した山。殆ど岩の山で 日本とスケールが違う。 氷河を歩いて やっとK2がみえてきた。k2みて スケールが大きく 見上げる目線が高く 本当に登れるのかと思う。しかし 不安より のぼってやるという気持ちが高かった。

G4 ガッシャブルム4峰 k2より難しい山、マッシャーブルム ブロードピーク 見える。

K2 南南西稜 南東稜 南南東稜リブのルート

k2の中でも もっとも難しいのが 南南西稜マジックライン

ノーマルルートは 南東稜 イタリア隊1954年初登頂。
私たちは南南東リブルートをとる。

http://www.k2climb.net/expguide/route.htm )



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高所順応



全員で6名のクライマーでのぼり 順々に休みながら登る



ベースキャンプは高い山へ登るために 薄い酸素にならすため拠点
休養のため 殆どBCにいる。

突然 登ると 心肺機能が追いつかない。8000mで 地上の3分の一 の空気。
登っては下りをくり返し 徐々に酸素の薄さにならしていって 登る 。
極地法を採用。

c3からは酸素を使って登るのを選択。

殆どBC 拠点にいる。


3-20061209k2-ge40-320.gif
http://www.u-tokai-k2.jp/route.htmをもとにGoogleEarthで作成)

BC 5200m
c1 6400m
c2 7100m
c3 7900m ここから一気に山頂。

キャンプ間 大体標高差1000mあり 体力勝負。

とくにベースキャンプからc1は体力がいる。
ベースからc1は一番距離があり しんどかった。

K2は難しいより 危険だ。 そして体力。ともかく体力がいる

ベースから見える チョゴリザ山頂は 軍事的に仲が悪い インド パキスタン間の 国境にあり現在 登山禁止。

海外の山を登るときは許可を取る。

許可は 一隊につき 何百万の金を 払ってのぼる。登るときは 必ずコック 連絡官を付けることが決められている。連絡官は監視役、外国人が変なことをしないように監視。事故の時のスムーズな連絡係。

コックは食糧事情がやりやすいように ということでつけるが、 カレー味。毎日カレー 、毎日カレーで、 毎日微妙に 味は違っても、所詮 日本人には カレー。

カレーの におい をかぐだけで 食欲がなくなる。
日本に帰っても もう3年位はカレーは良い位になった。



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ゆきちゃん 感謝の気持ち



食用の山羊「ゆきちゃん」を縛って捌く。この後 ゆきちゃんは殺されてしまう。私は動物が 殺される場面 は初めてで 喉を切って血が出ているのは グロテスクで ショックで涙が出た。 だがよく考えると これは 私が知らない日常で、日本ではスーパーなどで普通に肉が並んでいるが そこにあるのが当たり前。

一方 パキスタンでは自分の食べる食物の動物は 自分で殺し 自分で捌く。自分たちの手で動物を見送って 感謝の気持ちを持って 動物を食べ、一片も無駄にしない、そういったサイクルがある。 命の重みは 日本よりパキスタンの方が むしろよく分かっていると 感じた。日本でも 食べることに対して もっと感謝の気持ちがいるのではと感じました。

山を登るだけでなく 山に向かうまでの 道のりで色々学ばされることが多かった。



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落石、雪崩



登山スタイルは 頭に ヘルメット。 腰に ハーネス。

南南東リブ 急に見えるよりも緩い。

ルート自体は難しいかといえば 難しくはないが、 とにかく危険だった。

 岩自体危険。 さわると はがれ崩れる。
岩が ぼろぼろと はがれる。足を置いても崩れる。

風があると落石がすざましい。
冷蔵庫大の落石がどんどん落ちてくるる。
 あたりは落石 の岩の砕ける硫黄の においが一杯 漂う。
ブーオーッと音を立てて 落ちてくる時は自分は死ぬのではないか、
自分は大丈夫と 暗示をかけないとやりきれない。

ともかく危険。 落石が一番怖い。

そのほか雪崩が凄い。
雪崩の爆風がすごくて 荷物を背負って立っていても衝撃の風で飛ばされそうになった。

死の危険を感じながら 登り続ける。
ひたすら 雪の斜面登り続ける。

雪は常にあったが、晴れていると暖まって雪は深くなり、雨が降ると凍る。
状態の変化が著しい。

このあたりは 乾燥していても 気温差が40度あり 朝マイナス20度迄冷え 昼は 25度迄あがって、昼は半袖でも過ごせる。
パキスタンの山は このシーズン。このあたりは暖かい ところで有名。氷河 下は氷下を見ると スケールが大きくすばらしい。

前の隊が残したロープなど 残されたゴミ が沢山ある。
海外の高い山には しばしばこうした ゴミが多くある。



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2ヶ月間



2ヶ月間 山を登ることだけ考えて過ごすというのは、日常的な色々な複雑な人間関係などいろんなことを離れて タダそれだけに打ち込むことができ大変 素晴らしい時間でした。


太陽が出て雪が出て 岩が露出。
5200mから 6400mに c1

K2は平均斜度45度あり、 テントサイトに苦労。
テントは 唯一 平らな場所で落石危険ないところ。

4-3級の岩 氷ミックスのところ

7000m c2は平らな場所がなく 前の隊が残したゴミを積み重ねて テントはる。

何をするにもロープを付ける。

ベースキャンプをでて3時間 更に3時間で6100m

日本の山とスケールが違い 一歩一歩歩いていても とっても楽しい。



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ゴミ



これは前の隊が残したゴミ。こういったのが非常に多く残されている。テント内 には 食料 ヘルメット フリース めがね など色々な ものが一杯残されている。日本の山でゴミを残すのはよくないとされている。海外の山でも同じことだ。 ただし非常に酸素が薄く 体が動かない。 登ってきて そこにいるだけで 精一杯なので、とても、ゴミをおろす余裕などがない場合もあり、なんともできず、ある意味しょうがない、場合もある。

風が強くなると 歩いていても飛ばされる。 天気が悪いと下に下りなくてはいけない。

判断を間違うと命がない。 進むか下りるかの判断は 慎重にする。

「モーツワルト」という 牛も 食料用で 命のはかなさを感じさせられる。



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人の手

人間の手。



 k2の周りに散策すると ゴロゴロしている。 カツラのような人間の頭皮もあった。

山は美しくて素晴らしいだけでなく 厳しく恐ろしい側面があると考えられました。

人間の胴体も出てきた。靴は鋲靴、 50年前のイタリア人と特定できてたが、 2000m上で滑落し クレバスに落ちて 氷河を流れて 50年後 ここまで流されてきた。

自分も もしかしたら こうなるのかもと思うと、悲しい気持ちになった。

風が強い日 翌朝 新雪30cm。

気温25度のあと いきなり雪が30cm。夏と冬が一緒にくる。

雪が降ると 雪崩があり危険。 ベースキャンプで1週間 雪だるまなど作って 遊んで 待機。



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目一杯 ロープをのばす。



7500m地点 ここが一番難しい 氷 岩 雪ミックスのところ。岩が非常にもろくて ボロッ とはがれる ハーケンが固定できない。

支点をとらないで ロープを目一杯 のばさなくてはいけない。

トップが落ちたらそのまま下まで 落ちて死ぬ。過酷な状態。

自信があればいく、 自信がなければやめる。究極の判断だが、 最後は 気合いと 根性だけ。



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高所は体にダメージ



一時間ごとに 日焼け止めクリーム塗っても 
高所は紫外線が強く しっかり焼ける。

シミそばかすが一杯。いかに体にダメージか。

高所に長い間いることは 体に 非常に大きくダメージがある。


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運 不運



ロープに ぶら下がって下りているとき、 風が強いと  上から どんどん石が落ちてくる。 落石にあえば ロープにぶら下がっているだけに、よけれないので 本当に 危ない。これはもう 運に みを任すしかない。


登山というのは運 不運の要素が非常に大きい。

運 不運なんて なんと曖昧な要素か思われるが 人間の ちからでは推し量れない自然の驚異 があって それが自分にどう作用するか 自分には全く分からないものがあって 運に任せるしかないという 状況が何度もあった。

しかし 運 不運でやはり人間は死んでしまったりする。自然の厳しさを感じる。

トラバースして 最終キャンプc3。

ボトルネックは 氷のセラック 氷塔で  標高差400m 巨大な氷、。


ここで一度BCまで くだって ベースキャンプで休養 をとる。


イタリア人夫妻が先に登頂に成功しBCへ下ってきた。皆で祝福する。 
夫妻は有名なクライマー 8000m9座。(写真集

誰かが 登頂するとみんなで 祝福する風習がある。



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アタック出発 一時間後 2時間後



イタリア人夫妻を祝福した次の日 アタック開始、 6人の内 体力 体調の基準で アタック隊として3人がえらばれた。

3時に 出発。 なんとその 1時間後 アタック隊リーダーの先輩 Kさんが腹痛訴え 更に1時間後には 腹痛がひどくなり とうとう 動けなくなる。

すぐにベースと交信して、Kさんだけ とりあへず ベースへ戻ることになった。

先輩とは また明日登って再会する約束でわかれ、 残り2人は先へ行くことになった。

ところが先輩は ベースで診断すると急性虫垂炎だった。すぐにヘリで下ろされる。

これはアタック直前 凄いタイミングだった。
先輩もショックで 残念だったが、突然アタック隊リーダーの先輩Kさんを失うことは予想してなく 非常にショック。

しかし これはよく考えると 幸運だった。

もし仮に 上のキャンプで 動けなくなったら ヘリも着陸できず、自分だけで精一杯のところで 80kgの先輩を担いでなどとても おろせない。ただ 見守るだけで そのまま 何もすることができない。

よく考えたら むしろ ここで 盲腸になったのは運がよかったのかもしれない。
体が反応したのでは?

結局 山頂へは 2人でアタックすることになるが、長年のチームワークで不安はない。

7900m c3到着後 仮眠をとり 午前3時出発。

ここから先 8000mは未知の領域。 何が起こるか 不安は大きいが、 私たちの 可能性が楽しみだった。 

どこまでやれるか ともかく やれるところまで やろう。
最高の一日にしよう。と二人で話し合った。



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最終キャンプc3から山頂

C3

3時出発。 8100mで朝焼け。

ボトルネックが もの凄い音で時々崩壊し、 生きた気がしない、とにかく崩れないでくれと祈るだけだった。

雪が深く 膝上までの ラッセル。ロープにつながったまま 先頭を交代しながら 進むが 体力的に つらい。

やっと2km進んで 平坦に見えるが クレバスが随所に有り いきなり腰まで潜る 大変危険だ。

ブロードピーク ガッシャブルム1峰が見える。

8200mからは マッシャーブルム 未踏峰など 見える。

カラコルムは急峻。 見えてる山々は未踏峰数 多く有り。

雲が流れてくると 吹雪になり。
雲が抜けると快晴。天気の変化が激しく もう高いところにいるんだとよくわかる。

いよいよ山頂へ、
午前3時に7900mのc3を出て なんと14時間歩いて、夕方5時に山頂。

あと3、4時間すれば、 もう日が暮れる時間。到着した時間は 何とも遅い時間。 

もともと 2時で引き返すと決めていたが、 もうすぐそこへ山頂が見えていて 引き返すことができなかった。 あと山頂まで30分だと思って登ると また 次の山頂があり、 また30分だと思って行くと  また 次の山頂 があり、またそのくり返し。それでついに引き返せなかった。

これは はやく引き返さないという点で 判断ミスであった。それで その後 下りでビバークになる リスクを冒してしまったと反省。

登頂したのは成功でよかったのですが 、途中で引き返せなかったのは 自分の弱いところだった。



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K2山頂



山頂に立ったときは、 雲があって見えなかったが そのうち晴れてきた。
山頂では なんだか 山へ受け入れられた気持ち。

山頂は 気温が高く 素手。 着ているのは 雨具、カッパ 。
すぐにベースへ 「のぼりました」と 無線交信。旗を掲げる。

C3から ここまで 口で酸素を吸いながら登った。

チョゴリザ ブロードピーク ガッシャブルム 見える。

ここに 立って地球が丸いと 初めて感じた。
地平線の端の部分が下へ へこんでいて地球が丸いと感じた。
自分は宇宙に立っている感じ。 まさに空と一体化。

山頂へたった瞬間。 昨年挫折の経験から 非常に感動しました。 それまでつらかったことを思い出して つらかったのを支えてくれた一人一人の顔を思い出しながら ゴーグルの下で涙がとまりませんでした。

ただ この場所は ゴールではない アタックの折り返し地点。
 まだまだ下りは 危険 。半分は喜び 半分は緊張感の感じだった。



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下り



下りにかかる。 下から見ると絶壁のような傾斜がきつい下り。

登りはコンテニュアスだが、 下りはスタカットなので、下りには とても時間がかかる。 

下りはじめて 約3時間で日が暮れて ヘッドランプの明かりだけが たよりで 足跡を辿っていって下った。

しかし 8200mラインで とうとう酸素がなくなる。

最終キャンプc3 まで無酸素で登ってきたので、もし そこで酸素が切れても 最終c3と200mくらいの標高差なら なんとか大丈夫だろうと確信。

確信はあったものの もうすでに長時間行動の疲労が たまり、 眠気があり、一寸でも目をつむると ウトウトと 眠りこんでしまう状態。

判断力は鈍る。

ヘッドランプを落としても、その危機感すらなく、ぼーっとしていて何の反応もない。

さらに ヘッドランプの電池が切れてしまって、予備電池に替えるのに素手で凍傷になりそうで、手袋をはいたり 外したり それで時間がどんどんたつ。しかし 電池を替えたのに なぜか光がつかない。

なぜか 下のロープが凍っていて エイト環に上手に入らない 。
何か不思議な現象がいくつも 次から次へと 重なるようにおこる。



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8200m



 8200mという地点を考えると ここでのビバークは非常に危険と思っていても、ただ 私たちの状態を考えると ここで このまま 無理に下りつづけるのはもっと危険。 そこで 8200mでのビバークを決めた。

多分9時くらいだと おもって 時計をみると なんと夜中の2時半。

高所は不思議なことに 時間感覚が早く流れる。1時間位だと思っても2時間なんだか  自分の体の動きが スローになって 時間の感覚が2倍はやい。

なんだか知らない間に 2時半になってしまっていた。 
 
 あと3時間 休めば、朝が来る。 明るくなる。 朝が来れば 暖かくなる それまで少し休めば眠気もとれる。それで ビバークを決めた。

割と 傾斜の強いところに 座れる場所をカットして ただ着の身着のまま、
腰を下ろし 朝を迎えた。

気温はマイナス20度位迄 下がる。

ただ 運がよかったのは 風がなかったこと。 もし風があれば 天候が悪ければ 多分 そのまま死んでいただろう。

非常にコンディションがよくて 生きて帰ることができた。

ビバーク中  常に 「生きているか 生きているか」と 声をかけあって過ごした。



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荘厳な眺め



朝 寝ていたら 段々 周りが 明るくなるのを感じ ほっぺが凄く暖かくなり 何だろうと目を開けると  太陽が少しずつ登ってきて 光が 一気にぱーっと 照らし出されてきた。周りは暗かったのに 一気に 銀色に明るくなり素晴らしい眺めになっていって、 8200m 、そこからの朝日は素晴らしく、人間が見るものでないものを 見た感じがしました。私はなぜか人間が ヒカリに包まれて 生まれてきたときのことをを思い出すような感じがしました。非常に荘厳な眺めで 自分がいるのは死の世界なのに まさに太陽が上がり 光に照らされて 太陽や山が自分たちが生きているのを喜んで 歓迎するような気がして なぜか涙が止まらなかった。


4-20061209k2-ge480.jpg

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c3へ 不思議な経験



下っていって ようやくc3のテントが見えてきて まだ危険だが ともかく自分たちが残してきたところへきたと喜んだ。

 k2の肩とよばれる8000m付近はテントがポツポツ一杯ある。テントの中に10体ぐらい死者が残っている。座ったまま死んでいたり。

k2自体危険で 死亡率26パーセント。 

遺体を 山からおろすこともできず放置され ここは 特に大変恐ろしい場所。亡くなった人が 一杯。

テントの中などに放置されたり。腰掛けたまま死んでいる。そんな恐ろしい場所。 

c3でくつろぐ。

高山病の症状で 頭痛 食欲なし 吐き気 気持ち悪くなり 倦怠感がでる。

非常に食欲なく 食べれるものも 限られる。
幸い最後まで甘いものは食べれた。クッキーとケーキたべる。

顔が すっかりやつれる。
足が凍傷になってないかをチェック。
酸素を吸う。

このあと この8000mの場所で 不思議な もの音を聞く。
やはり ここは特別な場所だと感じる。

山を登っているときは 不思議な言い方でいえば 第六感が目覚めるような感じがする。極限の集中力と極限の緊張感のなかで登っていると普段 街では 感じないものを感じたりする。すべての感覚を使って 山を登っているので 何か知らない もの音を聞いたりする。 不思議な経験が非常に多かった。



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BCへ 生きててよかった



次の日 一気にベースへ戻った。

私たちのビバーク中は 地形の関係で無線交信ができず 連絡とれず。山頂で交信して以来 全く 電波が届かず 、BCでは 遭難したのでは 滑落したのでは と心配していた。

実は 実家の両親へも 「もしかしたら かえらない かも?」の 連絡があり 母はパニック。
そういうこともあり 皆に心配かけていたので、ですので 次の日 一気に BCへおりたときは みんな本当に 喜んでくれ 生きていてよかったと涙を出して 抱き合って 肩を組み合って 生きていてよかったと 喜びあった。

ただ 自分が生きている ここに存在している ことにここまで喜びを感じられたたのは はじめてだった。

生きているって本当に 素晴らしいことなんだと 改めて実感した。

6人のうち2人しか のぼれなかった。

みんな登りたかったのに しかし2人しか のぼれなかった。
その状態のなかで いって かえってきて でも 私たちが登ったのを みんなで喜んでくれた。
本当に 素晴らしいチームだった。本当によい仲間だった。

私は みんなの顔を見て 初めて登頂の実感が湧いた。
ここは安全な場所だ。
やっと ここに かえって来ることができた。



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遺書

じつは アタック出発前に 23歳で初めて 念のため 遺書を書いた。
(講演時は24歳) 
非常に危険な山なので もしかしたら 死ぬかも と思ってもし万が一 死んだら のために

「後悔ありません。有り難うございました----」

しかし こうやって生きてかえることができ 本当に幸せでした。
それだけの覚悟を決めて登ったので やはり達成感があった。



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ロシア人



次の日 みんなで登頂を祝う パーティー を開いてくれた。

首にパキスタン人の作った お守りを かけてくれた。 

隣のテントを張っていた ロシア隊も祝ってくれた。

BCへは今年 約150人がきて 登頂できたのは たった4人だけだった。(イタリア人夫妻 東海大隊)

BCは国際交流の場。色々な話が聞け 楽しかった。

しかしロシア人らは 私たちがK2を立ち去る日
私達の8200mビバーク地点付近を登っていて 不幸にも雪崩にあう。

雪崩で4人死亡。

私たちが 生きて帰れたこと
ロシア人が亡くなったこと これを分けるのは
もう運 不運しかないなと思う。
それを考えると 山は 非常に厳しい世界だ。

運 不運というのは 曖昧な要素のようで、でも実は
自然界では 非常に大切な 大きな、 人間にとって大きな はずせせない要素だ。

(注 8月13日、 8人のクライマーが山頂へ向けて登山中、ボトルネックを抜けた8350m付近で、
上部の雪壁が400×300 feet滑り落ち 4人が行方不明。)
http://www.k2climb.net/news.php?id=14937

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ギルギーメモリアル



ギルギーメモリアル。 K2で亡くなった人の慰霊碑 。

K2では 幽霊の音 声を聞いた。
亡くなった方は さぞかし無念だったろう。合掌。

K2は天候が安定しないので 難しい山だ。 天候予測も とても難しい。 
アタックが成功したのは たまたま晴天が4日間続いたからで これは全く 幸運だった。 
自分のコンディションだけでなく 山のコンディションがうまく あわなければ登れない。

つねに 運 不運がつきまとう。

夜12時 幻想的で すばらしいが、
この3時間後 さっきのロシア人が私達のビバーク地点で雪崩にあう。
私達も 生と死の境を 通って きたとなと思うと 今更ながら 恐ろしくなる。



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山が生きている

いよいよ K2を立ち去る日
全員無事 帰してくれて 有り難うと 山の神様に手を合わせる。

2ヶ月 K2 いて 包み込むような K2 
落石で 殺されるかと思った 牙をむいた K2

いろいろなK2をみて
のぼらせてくれ 生きて かえしてくれた k2に感謝。

あまりの落石で 殺されるかと思ったし 山が 生きていると感じた。


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歌 踊り 生き生き

2ヶ月 緑を全く見なかった。  緑は人間の心に優しい いいものだ。

動物がいると すぐ いたずら この動物が 怒って 3m飛ばされる。
山では死なないが ここで 牛につかれて死にそうになった。

ポーターが歌ってくれた。歌うことと踊ることは彼らの楽しみ。
彼らの 生活の中での一番の楽しみなのだ。

帰りは ポーターたちは 毎晩 毎晩 生き生きと 歌い。踊る。 
私たちも踊る。

みんな 生き生きしている。表情豊か。無関心、 無表情は一人もいない。

日本に帰国後 感じたのは  毎朝 満員電車に揺られていると
みな 電車の中では 朝から 無表情で 死んだような顔つきだ。

ものにあふれた生活では 無表情で 生き生きしていない。
日本では 本当に 豊かに生きているかどうかと 考えさせられた。

反対に ポーターらの生活は貧しく 物は あふれてない。 
決して豊かではないが  しかし精神的には豊かで 生き生きしている。

これは 厳しい自然環境に生きているからこそ、
喜びとか 小さな幸せに対して感受性豊かに感じているからなのだろう。

彼らと つきあっていて  私も表情豊かになった。
幸せって なんであろうか 。
豊かさについての価値観を かえさせられた。



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素晴らしい仲間 素晴らしい登山



ポーターと幸せそうな笑い。
日本では無表情な私が彼らと一緒だと なぜか生き生きしてくる。

人間的に豊かな人の中にいると 自分も変わる。

今日本に戻ってきて
日常的な しがらみの中で もう生き生きとした感じがでていない。

素晴らしい仲間 素晴らしい登山 仲間たち。
今回は、27年間 監督が 夢を懐いて 苦労されてきたのに
私は これに便乗する形で ちょんと乗って登れてしまった。

いろいろな 多くの人の支えがあったからこそだった。

以上で画像。終了。

映像 
7000m歩いているところ
c2からc3
山頂から 地球が丸いがよく分かった デジカメで とった。

自分が立っているところが一番高いのが気持ちがよい。

最後
音声入れてください。 ポーターが生き生きと歌っている。

これで映像が終わり。



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情熱が可能性を形つくる。



k2に登っていて 思ったのは 自分は一人で生きているのではないと凄く感じた。

山登りも 仲間といく。

自分が生きているのを考えさせられた登山だった。 

色々な人に支えられ 山頂にたったとき 感謝の気持ちがまず浮かんだ。

ここまで歩いてきたのは 本当にみんなが見守っていてくれたからだ。

一人で生きていたというのは 実は いかかされていたんだ。

逆に 自分が知らないところで 誰かを いかしているんだ と思った。
そうした 人とのつながりが 感じられた 登山だった。

K2 に登ったあと、 今後も自分の目指す山を登り続けていきたい。

私の 信条としている言葉は

「パッション クリエイトティブ ポシビリティーズ Passion creative possibilities 情熱が可能性を形つくる。」です。

つまり情熱を持ってやっていれば 自分の可能性が広がって 最後は目標に達成できる。

今の時代 いろんな 環境が整っていて、何ができるかの 可能性は ほぼイコールで目標につなげることができる。自分が非常に硬い意志で 一つずつのスッテプを大切にしていけば一歩一歩 かならず目標に近づいていける。

私は K2で そう感じたし 今後も そう信じていきたい。自分の可能性は常に追い求めていきたい。

山では いままで 挫折を2回経験しているし つらいことも 多かった。

でも 山が好きだったからこそ 続けてこれた

向上することを楽しんで これたからこそ 続けてこれた。



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楽しむ



「楽しむ」というのも 私の信条の一つ。

「楽しむ」というのは ただ楽をしてでなく 努力して 自分を高める その過程を楽しむこと。 

それを大切にしていきたい。

人生一度だから 後悔のないようしていきたい。

折角ですから 後悔なく 自分をしっかり向上させていきたい。
そのことを 楽しんでいきたい。

今回はチャンスを与えられて のぼった山登り。
今後はチャンスを与えて 登りたい。
今後しばらくは 自分の山登りを追求。
今後  南米のパタゴニアの 岩登りを目指していきたい。 



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アルプスの少女



実は私の夢は いずれ アルプスの少女ハイジのような生活を送りたい。

今のような山登りは 非常に危険で 死ぬかもという覚悟で登っている。 
 気合いと根性で登っているので、長くは もたない。

 30を過ぎたら やめたい。

やめても 山の麓で住んで 何らかの形で 山と関わっていきたい。

そういった生き方を 一生懸命 模索している。


自分にできる 最高の生き方 一生懸命 今を生きたい

今 アルバイト生活で経済的には厳しいし 苦労しているが、いくら経済的に つらくても  自分が本当にやりたいことを貫いているのでとても満足していますし、今 とても 幸せです。今後も そういった生きかたを貫いていきたい。

私は 山を登る上で 自分が一番生きているなと 感じるので とても好きです。山登りは 自分が成長できる一つの手段として 今やっています。

ただ 自分にとって いまは 山しかないが でもそれだけではない。
今後も いろいろな可能性を追求していきたい。

そして自分にできる 最高の生き方をしてしたい。
勿論 自分にしかできないことがあれば やりたいが そこまでの才能はない。
ともかく一生懸命 今を生きたい
人間として輝いていたい。

K2の話はこれで終わります。
有り難うございました。


(以上 講演抄録についての このウェブサイト上での文責は 趣深山)


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★ k2の女性登頂者 2006年まで



2006年までで k2の女性登頂者は小松さんで8人目。内5名は 既に死亡。3名生存。

  氏名 国   登頂年月日  
1 ワンダ・ルトキュヴィッチ ポーランド 1943-1992 1986年6月23日 カンチェンジュンガで死亡
2 リリエンヌ・バラール フランス 1948-1986 1986年6月23日 登頂後下山中に死亡
3 ジュリー・トゥリス イギリス 1939-1986 1986年8月 4日 登頂後下山中に死亡
4 シャンタル・モーデュイ フランス 1956-1998 1992年8月 3日 ダウラギリで死亡
5 アリスン・ハーグリーヴス イギリス 1962-1995 1995年8月13日 登頂後下山中に死亡
6 エドゥルネ・パサパン スペイン 1973- 2004年7月26日  
7 ニヴェス・メロア イタリア 1961- 2006年7月26日  
8 小松 由佳 日本 1982- 2006年8月 1日  


『K2 非情の頂―5人の女性サミッターの生と死 』
ジェニファー ジョーダン著,海津 正彦訳
山と溪谷社 (2006/03)

"Savage Summit The Life And Death of the First Women of k2 "


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http://www.k2climb.net/expguide/surviving.htm


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★ 山野井 泰史 氏
2000年7月  山野井 泰史 氏はK2(8611m)南南東リブを無酸素単独初登した。
5-k2yamanoi-2000-480.gif
『垂直の記憶 岩と雪の7章』 山野井泰史 著 2004年4月初版 山と溪谷社 191ページ図から引用

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2006年12月13日 第1版制作
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「趣味の山歩き ますます深くなる近くの山域」 趣深山 Copyright(c) 2002-2008
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[ 2006/12/13 15:16 ] 海外登山 | TB(-) | CM(-)


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